自分探しは、今しか出来ない?!

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一体どういう事だろう。
自分探しが、今しか出来ないなんて。。。

よく一般的に言われる、いわゆる自分探し。
カッコよく言えば、『自分探し』ですが、
単に自分のやりたい事が定まっていないだけである。
若いうちはそれでいいと思うが、年をとるとそうはいかない。年代により『自分探し』は解釈が異なる。
同じ言葉なのに、年代によって捉えられ方が異なるのは不思議な話だが、いつになっても何か新しいものを求める姿勢はいいと思う。

そういう意味で、自分探しの一環としてフィリピン留学が候補に入り、例えば『世界一周の最初の地』として選択されているのは大変いい事だし、素晴らしい事だと思うが、なぜフィリピンがその対象になっているのだろうか。

・貧困だから?
・フィリピン留学が流行っているから?
・ビーチリゾートがあるから?

正解は人それぞれなので、絞る必要はないが、
まず選ばれる理由として言えることは、
格安で英語学習に集中出来る環境を手っ取り早く作ることが出来る事だ。
日常会話が出来るからそ世界一周やボランティア活動がよりよいものになるからだ。

今しか出来ないというのは、この時代だからこそ出来る自分探しという風にも言える。
なぜかというと、
江戸時代頃まで、ほとんどの人は国という単位で何かを考えるということはしていなかったはずだ。
『国』と言えば、藩や村を指していたし、自分が生まれた場所から出ることもなく一生を終える人が圧倒的に多かったはずだ。
身分制度があったために、
基本的に農民の子は農民で、商人の子は商人でしかなかった。
武士からすると、農民が同じ日本人とは思わなかった可能性すらある。
言い換えると、江戸時代まで『日本人』といのは、どの身分の人を指すかは正確な定義がなかったともいえる。

今、私たち側から江戸時代を振り返れば農民も、商人も同じ、『日本人』にしか思えないが、当時の彼らが自分たちのことを『日本人』と認識していたかどうかは怪しいところである。
共通したメディアや教育制度もない以上、彼ら自身が『日本人』と理解する事もなければ、『日本人』と思う必要もなかったからだ。

現代と比較して、
生まれた場所と親の身分で全てが決まってしまう江戸時代は、ある意味安定した時代だったのかもしれない。
農民だったら、農民として生きる人生以外は基本的に選択肢がない。もっというなら、
農民以外の世界があるなんて知らずに一生を終えていく。
自分探しをする必要もないし、生活水準や貧富の差も一律だったし、
選挙もなければ、政治のことなんてどうでもよかったかもしれない。だからこそ、少数の支配者が国をコントロールできたのであろう。

『自分探し』の意味は人それぞれだが、
要は、段取りの重要性だ。
全ては目的を決めて、逆算してからいまやるべき事が決まる。

そのやるべき事の中に、フィリピン留学がリスト化されており、
もっともっと、フィリピン留学に行く人が増えればいいなと思うわけです。

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